西暦471年の古墳時代に作られたという謎の剣。金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)や稲荷山古墳出土鉄剣(いなりやまこふんしゅつどてっけん)などと言われます。
古事記や日本書紀の製作年よりも遥かに古く、現存する日本の歴史を記した資料としては日本最古クラスの物と言われています。
この剣には115文字が刻まれています。たった115文字かと思うかもしれませんが、この文字数がこの時代に残された資料としては半端なく多いんです。他にも文字が記載された有名な剣がありますが殆どが半分以下しか書かれておりません。
今回は1500年以上前に作られたというこの謎な剣を紹介します。
ちなみに余談として「剣は両刃」、「刀は片刃」を表します。この時代はまだ剣が主流でした。
記事の目次
金錯銘鉄剣の場所
この謎の剣は埼玉県の「埼玉県立さきたま史跡の博物館」にあります。また、この資料館の横の稲荷山古墳出から発見(出土)されました。
ー地図ー
住所:埼玉県行田市大字埼玉4834
文字(漢字)がいつ日本にやってきたか
みなさんがいつも普通に書いている文字。ずーっと遡るといつ頃やってきたと思いますか。当たり前のように使っているけどすごい不思議ですよね。
いろいろ説はありますが、現存品で残って入る教科書にも乗っているような代表候補を例にあげますと。志賀島で発見された金印、それから七支刀などがあります。
金印は1世紀頃、七支刀は4世紀頃やってきたと言われます。はっきりとした年代はわかってません。
大体この頃より大陸からの渡来人が文字(漢字)と共にやってくるようになって次第に文字が普及したのではと言われています。
この頃、中国は三国志の時代で追いやられた人たちが日本にやってきたのかもしれませんね。
ココが凄い!その1 奇跡の剣
この時代、文字を読めない書けない人が殆どで、もちろん紙で書かれた資料は残っていないので文字で残されたこと自体がすなわち奇跡な状態なわけです。はるか昔の時代の記録を残す貴重な歴史資料なわけです。この剣が見つかったときは「100年に一度の大発見」と言われました。
ではどうやって残したかと言うと剣の表面に文字を刻んでそこに金を流し込んで作ったわけです。この作製方法を金象嵌(きんぞうがん)と言います。
紙でも木でも銅でも無く耐久性が非常に高い金で文字が書かれていたからこそ、腐食せずに残っていたわけです。なので文字以外の部分はボロボロ(笑)
当時の日本について書かれた資料は全くと言っていいほど存在しないため、国宝の中でもかなり貴重なお宝と言われています。
ココが凄い!その2 年代が書かれている
金印も七支刀もいつ頃作られたものかはっきりとはわかってません。
しかしこの剣には「辛亥の年七月」とはっきり書かれています。
ココが凄い!その3 文字数の多さ
金印の文字数は 「漢委奴国王」の五つ文字、七支刀は60文字とかなり文字数が少ない上に2つとも海外からの献上物であるため日本産ではありません。
しかし、いかんせん文字の数が少なすぎます。
金錯銘鉄剣の凄さはその文字の多さ。なんと七支刀の約2倍の115文字が記載されています。さらに時代背景がわかるような記述が書いてあるのが凄いんです。
ココが凄い!その4 歴史の証明書
で書いてある内容はというと、、、、
原文と訳
(表面)
辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
(表面訳)
辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒシワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。
(裏面)
其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也
(裏面訳)
其の児、名はカサヒヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケルの大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。(wikiより)
概要としては、
冒頭の「辛亥年(しんがいのとし)」は西暦471年であると考えられています。これは干支が甲子から始まり60年でぐるっと一周するという計算で、遡って推定するとこの年代になるそうです。(なので60年を加えた西暦531年とする人もいるようです。)
で、自分の名前(ヲワケ)と役職(親衛隊長)、他は祖先や家族の紹介が書かれていて
最後に「 獲加多支鹵大王」
これはワカタケルオオキミと書いてあり、
この方にに仕える
と書かれています。
このワカタケルオオキミは第21第天皇の雄略天皇の諱(いみな)と言われています。
諱は「本当の名前」のことです。英語だとTrue nameと言います。
ココが肝で、このワカタケルオオキミは、ずっと後に書かれた「古事記」(712年)「日本書紀」(720年)に同じ名前の天皇が出てきますが、物語のファンタジー性の記述がこの金錯銘鉄剣と照らし合わせることで「マジな話」になるわけです。ということで、この方は本当にいたということがこの剣の内容を持って証明されたわけです。ココが凄いんです!
Twitterからの情報
Twitter書き込み情報
9月22日(火・祝)19時57分から放送予定のNHK総合「ミステリアス古墳スペシャル」に埼玉(さきたま)古墳群が取り上げられます。国の特別史跡に選ばれた埼玉古墳群や稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣」等の取材を受けました。ぜひ、ご覧ください。#埼玉 #歴史 #埼玉古墳群 #鉄剣 #NHK pic.twitter.com/iijJkBzwzp
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) August 28, 2020
【埼玉・埼玉古墳群】行田市にある前方後円墳8基と円墳1基からなる大型古墳群。5世紀~7世紀築造。方形の多重周濠を持ち、古墳の主軸はほぼ一定の方向を指している。稲荷山から金錯銘鉄剣が出土し、両面に百十五の文字が刻まれていた。 pic.twitter.com/t3mdwvFQ0d
— 古墳商店 (@kofun_store) August 28, 2020
博物館、古墳の周辺情報
埼玉県名発祥の日。ここで埼玉県が命名されたんですね。「さきたま」→「さいたま」確かにさきたまより言いやすいかも。
さきたま古墳群の一つ「二子山古墳」。前方後円墳ですね
まとめ
いかがでしたでしょうか。この金錯銘鉄剣の凄さが伝わりましたでしょうか。埼玉県立さきたま史跡の博物館では、この剣の他に同時期に見つかった同じく国宝の「勾玉、鏡、馬具」なども展示されております。入館料200円でこんなに感動を味わえるところはなかなかないですよ。是非足を運んでみてください。